キラートン・ガーデン Killerton garden
時刻は17時10分、次のキラートン・ガーデンまでは30分、キラートンのオープンは19時まで、キラートンからB&Bまでも30分、B&Bの食事の予約は20時、
余裕のスケジュールだ。ところが、物事計算通りばかりには行かない。ここでもホニトン(Honiton)の街で渋滞に出合った。
”今年はゆったりした旅”が目標だったはずだ。であれば、この辺りでB&Bに目的地変換したら良いのに、まだ諦めない。
いつの間にかいつもの”神風・かっとび・急ぎ旅”になっている。
キラートン・ガーデンに着いたのは18時になった。19時までオープンしているのは間違いないが、入り口にはオネスト・ボックスが置いてあり、
ティールームやショップは閉まっている。ナショナル・トラスト(NT)のプロパティーゆえボランティアを中心に運営されているのだから当然だ。
ガーデンだけでも開いているのが御の字としなければいけない。会員なのでオネスト・ボックスは無視して入場。NTの常でパーキングからガーデンまでが遠い。
広大な敷地は寒風が吹き荒んでいた。これは冬の寒さだ。
キラートン・ハウスは1778年にトーマス・アクランド卿(Sir Thomas Acland)がここに移るために土地の名もない建築家に、
仮設の住居として建てさせたものだ(写真上右から2枚)。その後、大邸宅を立てる予定であったが、同年に息子を亡くし、建築を断念したという。
そう言われればマナーハウスとしては外観上もシンプルなデザインだ。それにつけても、仮設住居がこれだから驚く。
ハウスの南西に見晴台があり(写真上左)、デボンのカントリーサイドの光景が広がる。そこから西にパルテア(Parterre)が伸びている。
ウィリアム・ロビンソン(William Robinson)のデザインで、1805年に造られたものだ。15m×50mほどでさほど大きくはないが、
バラを始め植栽された植物の活きがすこぶる良い(写真上右3枚)。パルテアの東西に優雅な壷が置かれている(写真上右から2枚目、下右)。
ハウスを取り巻く広大なランドスケープ・ガーデンは1977年からジョン・ビーチ(John Veitch)により造られたものだ。
ジョン・ビーチは職を探してエジンバラからロンドンまで歩いてきたという逸話の持ち主だ。
19世紀にはイギリスの富裕層は世界各地にプランツハンター(Plant Hunters)を送り出し、珍しい植物を持ち帰らせた。
ジョン・ビーチもプランツハンターを送ったが、それだけでなく、イギリス中のプランツハンターが持ち帰った植物は、
先ずは気候の温暖なデボンのキラートン・ガーデンで育成されたのだという。そのため、ここにはたくさんの種類の樹木が残されているのだ(写真上左3枚、下左2枚)。
パルテアの北の芝の斜面を登っていくと、ところどころに芝を切ってベッドがある。植栽は石楠花であったり、ハーブ・ヒース類であったりする(写真上左から2枚目)。
トリトマをメインに下植え込みもあった(写真下右から2枚目)。
芝の中の通路にも洒落た壷が1対立っている。散策も優雅な気分になるというものだ。
南を見下ろせば、手前はハウス西の見晴台とパルテアが、遠くカントリーサイドの景色が霞む。
通路から北の芝生の丘の上にサマーハウス(Summer House)が見える(写真上右から2枚目)。19世紀の始めの頃のアクランド家のペットの小屋だ。
そのペットとはサマーハウスの名前が"Bear Hut"ということから分かるとおり”熊”だったのだ。破天荒なファミリーだ。(正しい意味につけ、誤った意味につけ)
破天荒と言えば、このエステートの2590ヘクタール(分かり易く言えば5km四方、そこには20の農場と200を越すコテージがあったという)は
時の当主Sir Richard Aclandが自らの政治的信条(左派党で土地の個人所有を排除した)に基づき、1944年にNTに寄贈されたのだ。
その広さはNTの数多いプロパティーの中でも最大級だという。
この広大な景色の中に人っ子一人見当たらない。気象を軽く見すぎて、ゴアテックを車に置いてきた。
余りに寒いのでロック・ガーデンとアイス・ハウスは断念する。40分足らずの滞在で退散。
Address | Broadclyst, Exeter, EX5 3LE |
Telephone | 01392 881345 |
Web Site | Killerton garden |
オープンの日・時間や入場料は Web Site あるいは
Gardens Finder
Gardens Guideで確認ください。
「旅行記」もご覧ください。